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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和50年(ワ)64号 判決

原告

浜田克己

原告

豊川泰賢

原告

綿谷卓次

右原告ら訴訟代理人弁護士

藤原精吾

井藤誉志雄

前田貞夫

前哲夫

野田底吾

高橋敬

被告

ヤンマーディーゼル株式会社

右代表者代表取締役

山岡淳男

右訴訟代理人弁護士

池田俊

中筋一朗

奥村正道

益田哲生

荒尾幸三

三木博

主文

1  被告は、

(一)  原告浜田克己に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(二)  原告豊川泰賢に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和五〇年二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(三)  原告綿谷卓次に対し、金六〇万円及びこれに対する昭和五〇年二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決は、1項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

1  被告は、

(一) 原告浜田克己に対し、金三二九万六〇〇〇円及び内金一二九万六〇〇〇円に対する昭和五〇年二月二五日から、内金二〇〇万円に対する同五五年四月二三日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告豊川泰賢に対し、金四七二万三〇〇〇円及び内金二七二万三〇〇〇円に対する昭和五〇年二月二五日から、内金二〇〇万円に対する同五五年四月二三日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(三) 原告綿谷卓次に対し、金三三七万円及び内金一三七万円に対する昭和五〇年二月二五日から、内金二〇〇万円に対する同五五年四月二三日から、それぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行の宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告ヤンマーディーゼル株式会社(以下被告会社という。)は、ディーゼル機関等の製造、販売を業とする株式会社である。

(二) 原告らは、被告会社阪神ディーゼル事業部(兵庫県尼崎市長洲東通一丁目一番地所在)に、訴外福田工業所こと福田博を通じて雇われ、社外工として同事業部鋳造部門の溶解職場で働いてきた労働者である。

2  原告らの作業内容

(一) 原告浜田は、昭和四七年一〇月から、同豊川は、昭和四三年から、同綿谷は、昭和四四年から、それぞれ昭和四九年六月ないし七月に病気休業するまで、右職場において、地金類計量投入作業(いわゆる「かけ作業」。以下、かけ作業という。)に従事してきた。

(二) かけ作業とは、キューポラー(溶解炉)の中に銑鉄、返銑、鋼屑、コークス及び石灰石等のいわゆる地金類を計量投入する作業であり、原告らが行う作業内容を別紙作業過程の略図(略)(以下、略図という。)によって説明すると次のとおりである。

(1) 軌道上を動く電動台車に略図〈1〉でコークス及び石灰石を投入する。その際石灰石はともかく、コークスは機械では定量に入りにくいので、原告らは手作業により計量しなければならず、コークスを取り出したり、追加するなどして調節する。

(2) 略図〈2〉で鋼屑を投入する。床面に山積された鋼屑を原告らがスコップですくって計量ホッパーに所定の計量を投げ入れる作業を繰り返すのであるが、スコップに鋼屑をすくって運ぶ距離は、鋼屑が山積みされているため、近い所では一、二歩しかなくても、遠い所では五メートル位、平均して二から三メートルにもなる。

(3) 略図〈3〉において銑鉄及び返銑を投入する。これらの原料は床面に山積みされており、原告らはその上にあがって作業するので足場が非常に悪く、不自然な姿勢となるうえ、右銑鉄などの重さは平均して一〇キログラム、重いものでは三〇キログラムもあり、腰部に過度の負担がかかる。運搬距離も銑鉄及び返銑が少なくなれば、一・五ないし二メートルにもなる。

(4) なお、原告らは、右かけ作業に先立って次のような諸準備作業にも従事していた。

〈イ〉 原告豊川は午前八時の始業開始時刻よりも一時間早出し、前日の作業終了時に二つのキューポラーの間にかき出された地金約五〇キロ、ノロ約五〇〇キロをトロッコに積み込む作業をしていた。

〈ロ〉 原告らは、午前八時から、前日消火したコークス、鋼屑、返銑、銑鉄約一・二トンを選別し、所定の保管場所に運ぶ作業にも従事していた。

〈ハ〉 溶解作業の最初においては、キューポラーは空であって、原料の地金類は入っていないので、通常の作業過程と異なり、一度に一二回分の原料を投入する。これを初込(はなごめ)作業というが、大変な労働量であるから、本工も手を貸す程であった。

3  職業病の発生

(一) 原告浜田の発病

原告浜田は、今回の発病以前には肩、上肢痛、腰痛などを経験したことがなかったのに、昭和四九年一月中頃から徐々に腰痛が始まり作業中及び起床時に増悪する状態が続くようになった。同年二月中頃からは頸部痛、両上肢痛を伴うようになり、同年三月中頃から約三週間休養したところ、症状は一時軽減したが、同年四月にはいって同じ作業に従事していた同僚が一人欠け、それまで四人で行ってきた作業を三人で行うようになったため、同年五月から右肩関節痛が始り、右肩から右上腕にかけて腫脹、疼痛が続くようになった。腰痛も再び増悪し、同年六月一六日より休業を余儀なくされた。病名は、肩関節周囲炎、筋・筋膜性腰痛である。

(二) 原告豊川の発病

原告豊川は、昭和四七年四月頃から頸部ないし背腰部にかけて疼痛が徐々に始まり、まもなく毎日続くようになった。同年四月には、前述のとおり同僚が一人欠けて作業量が増大したため、疲労感が増し、同年六月からは背腰痛、肩こり等が著明に増悪した。同年同月二七日からは休業を余儀なくされ、箕面病院に入院した。病名は、筋・筋膜性背腰痛である。

(三) 原告綿谷の発病

原告綿谷は、昭和四八年一〇月頃から左肩痛、続いて左背腰痛が始まり、いずれも作業中に増悪していた。また同じ頃左下肢にごむらがえりがひん発するようになった。以後、肩及び腰の痛みが続いていたが、昭和四九年四月頃より特に悪化し、肩関節の疼痛性運動制限のため労働不能となり、同年七月二六日から休業を余儀なくされた。病名は、肩関節周囲炎、筋・筋膜性腰痛である。

(四) 原告らが従事していたかけ作業及びそれに伴う準備作業は、前記2記載のとおり、長時間にわたり不適当な方法で重量物を取扱うものであるから、原告らの腰及び肩部にかかる負担が大きく、右の諸作業が原告らにおける発病の原因である。

原告らの疾病が被告会社において原告らの従事した業務に起因するものであることは、昭和四九年一〇月四日尼崎労働基準監督署長が原告らの疾病を業務上と認め、労災補償給付の支給決定をしていることからも明らかである。

4  被告会社の責任

(一) 健康(安全)保護義務の存在

被告会社は、自己の所有、管理する工場内において、原告らをかけ作業に従事させ、賃金支払など一部訴外福田工業所を介した部分があったとしても、原告らの働く労働環境、設備、機械、作業方法、作業時間、作業量のほとんどすべてについて原告らを管理支配していたのであるから、被告会社と原告らとの間には実質的な使用従属関係が存在する。このような場合、被告会社は、原告らに対して次のとおり腰痛などの疾病発生予防措置を講ずるなど就労による健康障害の発生を予防すべき労働契約上の健康(安全)保護義務を負うべきである。

(二) 被告会社が右義務に基づき、腰痛などの予防のために講ずべきであった具体的な措置

(1) 省力化

〈イ〉 適切な自動装置を使用するなど人力によらないことを原則とすること

〈ロ〉 作業の自動化が著しく困難な場合においては、適切な装置、器具等を使用して部分的にでも機械化をはかること

〈ハ〉 人力による重量物取扱い作業が残される場合には、作業速度及び取扱い物の重量を調整するなど作業員に過度の負担がかからないようにすること

(2) 取扱い物の重量を調整、軽減して作業員に過度の負担がかからないようにすること

(3) 荷姿の改善と重量の明示

〈イ〉 荷物はかさばらないようにし、かつ適切な材料で包装し、できるだけ確実に把握することのできる手段を講じて取扱いを容易にすること

〈ロ〉 取扱う物の重量を明示すること

〈ハ〉 著しく重心の偏っている荷物についてはその旨を明示すること

(4) 作業姿勢の改善のための措置

すなわち、重量物を取扱うときは、急激な身体の移動を少なくし、かつ身体の重心の移動を少なくするなどできるだけ腰部に負担のかからない作業姿勢で行いうるよう作業設備、作業工程などを改善すること

(5) 取扱い時間の適正化

〈イ〉 取扱う物の重量、取扱いの頻度、運搬距離、運搬速度等作業の実態に応じ、キューポラーの出銑の間隔を長くするほか、作業員を増員したり、休息または他の軽作業と組み合わせるなどして、重量物取扱い時間を減らすこと

〈ロ〉 単位時間内における取扱い量を作業員にとって過度の負担とならないようにできるだけ減らすこと

(6) 教育及び訓練

重量物取扱い作業に従事する労働者に対しては、当該作業に配置する前及び就業中に適宜腰痛などの疾病発生を防止するための作業方法について十分な教育及び訓練を行うこと

(7) 作業環境

寒冷による筋肉疲労の増大を防ぐため作業現場の気温、作業者の保温に留意すること

(三) 被告会社における腰痛などの疾病発生予防措置の不履行

(1) 原告らがかけ作業に就労していた期間は一貫してスコップによる手作業が行なわれており、省力化の措置が講じられなかった。被告において電磁石を利用したクレーン装置を導入して省力化をはかったのは原告らの発病後である昭和五二年末頃になってからである。このような省力化の措置は別段目新しいことではなく、以前から存在していたものであるから早期に導入されるべきであった。

(2) 取扱い物の重量軽減のための措置は全く講じられていない。

(3) 重量物をスコップですくい運搬や投入作業をすることは身体の重心の移動が大きく、明らかに腰部や肩部に過度の負担のかかる作業方法であったが、これについて被告会社は何らの改善もしていない。

(4) 被告会社は、キューポラーの出銑の間隔を長くするほか、作業員を増員したり、一日の実働時間を短縮するなどして作業速度及び作業時間の適正化をなしえたのに、右のような措置を講じていないうえ、訴外福田工業所が四人分の作業を三人で行なわせていたことを熟知しながら、これを放任し、疾病の発生を促進する結果を招いた。また原告らの腰痛などの疾病発生当時は、被告会社において生産量を一途に増大せしめていた時期であって、作業量の軽減などというものは考えられていなかった。

(5) 被告会社は、原告らに対し、一切教育及び訓練を施していない。

(6) 原告らの作業現場は、工場内といっても屋根があるだけで、冬は寒風が吹きさらし、劣悪な作業環境にある。

右のように被告会社は、原告らに対する腰痛などの疾病発生予防の措置をとることを怠っており、このことが原告らの発病を招来したのであるから、この点において債務不履行による損害賠償の責任を負うべきである。

(四) 不法行為責任

被告会社は、原告らを直接雇用したものではないとしても、前述のとおり、実質的に使用従属関係が存在しているのであるから、原告らの腰痛などの疾病発生を予防するための条理上の注意義務を負うべきである。そして被告会社は、右注意義務を尽くすために前記4(二)のような措置を講ずべきであったのに、4(三)のとおりそれを怠っていたのであるから、この点において不法行為の責任を負うべきである。

5  損害

(一) 休業による損害

原告らは、前記3の疾病のために長期にわたる休業加療を余儀なくされ、労災保険の休業補償を除く部分について以下のとおり得べかりし利益を失っている。

(1) 原告浜田

〈イ〉休業前の平均月収 九万二六一〇円

〈ロ〉労災保険による給付 五万五五六六円

〈ハ〉休業期間のうち、昭和四九年六月一六日から八か月分

(〈イ〉-〈ロ〉)×〈ハ〉 二九万六三五二円

(2) 原告豊川

〈イ〉休業前の平均月収 一五万〇六三〇円

〈ロ〉労災保険による給付 九万〇三七八円

〈ハ〉休業期間のうち、昭和四九年六月二七日から一二か月分

(〈イ〉-〈ロ〉)×〈ハ〉 七二万三〇二四円

(3) 原告綿谷

〈イ〉休業前の平均月収 一三万二一八〇円

〈ロ〉労災保険による給付 七万九三〇八円

〈ハ〉休業期間のうち、昭和四九年七月二六日から七か月分

(〈イ〉-〈ロ〉)×〈ハ〉 三七万〇一〇四円

(二) 慰謝料

原告らは、被告会社の支配下において、劣悪な労働条件により職業病にかかり、専心治療に努めたが完治するにいたっていない。そしてその長期間にわたる身体的、精神的な痛みと入院、加療などの苦痛を味わっている。これを金銭を以て慰謝するならば、原告浜田及び同綿谷に対しては少なくとも各三〇〇万円、同豊川に対しては少なくとも四〇〇万円が相当である。

6  よって、原告らは、被告会社に対し、債務不履行または不法行為に基づき、原告浜田において、金三二九万六〇〇〇円(千円未満切捨、以下同じ)及び内金一二九万六〇〇〇円については、訴状送達の日の翌日である昭和五〇年二月二五日から支払済みまで、内金二〇〇万円については、請求拡張申立書送達の日の翌日である昭和五五年四月二三日から支払済みまで、同豊川において、金四七二万三〇〇〇円及び内金二七二万三〇〇〇円については、訴状送達の日の翌日である前同日から支払済みまで、内金二〇〇万円については、請求拡張申立書送達の日の翌日である前同日から支払済みまで、同綿谷において、金三三七万円及び内金一三七万円については、訴状送達の日の翌日である前同日から支払済みまで、内金二〇〇万円については、請求拡張申立書送達の日の翌日である前同日から支払済みまで、それぞれ民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。

同1(二)の事実のうち、原告らが被告会社の阪神ディーゼル事業部鋳造部溶解班の職場において社外工として働いてきたことは認めるが、その余の事実は争う。原告らは、被告会社と請負契約を締結している訴外福田工業所こと福田博の従業員であって、被告会社との間には何ら雇用関係はない。

2  同2(一)の事実は、原告豊川及び同綿谷がかけ作業に従事しはじめた時期を除き認める。原告豊川は、昭和四四年九月からかけ作業に従事しはじめ、同綿谷は、昭和四三年三月から昭和四七年二月までかけ作業に従事した後退職し、昭和四八年一〇月に再雇傭されてから昭和四九年二月までは被告会社の阪神ディーゼル事業部仕上班の職場でシリンダーヘッドの仕上加工作業に従事し、同年三月から再びかけ作業に従事するに至ったものである。

同2(二)の事実につき、かけ作業の過程そのものは、おおよそ原告ら主張のとおりであることは認めるが、正確にその内容を説明すると次のとおりである。

軌道上を電動台車が電気操作で運転されており、右電動台車に略図〈1〉でコークス及び石灰石を、同図〈2〉で鋼屑を、〈3〉で銑鉄及び返銑が投入されたあと、電動台車は同図〈4〉に戻って停止し、底を開いて投入された地金類をチャージャー・バケット(以下バケットという)に移しかえ、バケットは電気操作でキューポラーの投入口まで上昇し、バケットの底を開いてキューポラー内に地金類を投入する。投入を終ったバケットは〈4〉まで降りてくる。別途、電動台車は地金類をバケットに移しかえたあと、〈1〉まで移動して、この過程が繰り返されることになる。

原告らの作業は地金類を一定量計量して電動台車に投入するまでの作業であり、電動台車の運転、バケットへの移しかえ、キューポラーへの投入は被告会社の従業員が行っていた。

以下、さらに原告らの主張に沿い、(1)ないし(4)の個々の作業内容について説明する。

(1)については、略図〈1〉でコークス及び石灰石を投入されるのであるが、コークス及び石灰石はスイッチで自動計量され、レバー操作により自動投入されるのであるから、原告らの作業は右スイッチ及びレバー操作のみである。

(2)について、原告らが略図〈2〉で床面に積まれた鋼屑をスコップですくって計量ホッパーに投入するのであるが、その作業は計量ホッパーに鋼屑を投入して所定の一六〇キログラムを計量し、電動台車が略図〈2〉に来るのを待って、レバー操作でホッパーが自動的に傾いて鋼屑が電動台車に投入されるのである。鋼屑は一個の重量が〇・一ないし一・八キログラムであり、スコップ一杯で約六ないし一〇キログラムほどになるけれども、付近の床面はスコップが使いやすいように鉄板を敷きつめてあるうえ、鋼屑の山と計量ホッパーとの間は原告らが身体を回せばそのまま届くかあるいは一、二歩歩く程度の距離にしであり、また計量ホッパーの高さは床面から三五センチメートルほどしかない。

(3)について、原告らが略図〈3〉において銑鉄及び返銑を手で掴んで計量ホッパーに投入する作業がなされるのであるけれども、銑鉄及び返銑をホッパーに投入し、各一二〇キログラムを計量して電動台車が略図〈3〉に来るのを待ってレバー操作をすると、ホッパーが自動的に傾いて電動台車へ投入されるようになっている。そして、銑鉄一個の重量は五ないし七キログラム、返銑一個の重量は七ないし二〇キログラムほどにしかすぎない。また銑鉄及び返銑の山と計量ホッパーとの距離は鋼屑の場合と同じ位であって、計量ホッパーの床面からの高さも同じ位である。

右のとおり、原告らの主な作業は鋼屑、銑鉄及び返銑の計量ホッパーへの投入であり、一回の投入計量に要する時間が一分半ないし二分である。そしてキューポラーへの地金類投入の頻度が五分に一回であることから考えると、原告らは一分半ないし二分間作業して、三分ないし三分半休憩するというサイクルで作業を繰返していたことになる。

〈4〉について、かけ作業に先立って諸準備作業がなされること自体は原告ら主張、のとおりであるが、原告ら個々の勤務時間や仕事の分担については知らない。また、トロッコに積み込まれるノロの量は約二〇〇キログラム位にしかすぎず、初込作業はかけ作業そのものであって準備作業ではない。ともかくかけ作業従事者の一日の作業は、朝の始業と同時に前日使用したキューポラーから出されているノロの廃棄や未燃焼のコークス、未融解の地金の整理作業から開始され、それを終えてかけ作業の初込にとりかかるのである。

3  同3の(一)(二)(三)の事実のうち、従来四人で行っていたかけ作業を昭和四九年四月から三人で行っていたこと及び原告浜田、同豊川が同年六月頃から、同綿谷が同年七月頃からそれぞれ休業したことは認め、その余の事実は知らない。

同3(四)の事実中、原告ら主張の日尼崎労働基準監督署長が原告らの疾病を業務上と認め、労災補償給付の支給決定をしたことは認めるが、その余は否認する。

原告らにおける発病の原因は原告ら主張の諸作業によるものではない。すなわち、原告らはいずれも高齢(休業時原告浜田は満五二歳、同豊川は満五四歳、同綿谷は満六六歳)であること、治療期間が異常に長いこと、原告らの診療に当った各医療期間の診断傷病名が極めて多種多様にわたり、しかも医療期間によりその内容が相当に異なるということ及び原告ら以外にかけ作業従事者の中から腰痛などを訴えた者はいないことの諸点に照らすと、原告らの疾病発生はかけ作業とは何らの因果関係もなく、仮に何らかの因果関係があるとしても、その相当部分は原告らの高年齢、身体的・精神的要因、生活要因など個人的要因に基づくものである。しかも原告らの疾病は既に治癒あるいは症状が固定している。

4  同4(一)の事実は否認する。被告会社は原告らの使用者でなく、また原告らに対し作業上指揮命令をなしていないので、原告らが主張するような安全保護義務を負う理由はない。このことは仮に被告会社が原告らに対し、かけ作業において指揮命令を行っていたとされる場合でも同様である。なぜなら、注文者や元請は、下請の労働者に対する労働の質や量につき何らの決定権・交渉権も有しないため、労働条件の不備に起因する本件のような非災害性の労災の場合、注文者や元請が自ら労働条件を整備して労災発生の危険を防止することは困難だからである。

同4の(二)及び(三)の事実は争う。原告ら主張の安全保護義務の内容は、原告らが従事の作業に要求するのは過大であるばかりか、もともと被告会社と訴外福田工業所の関係は請負契約の関係にすぎず、作業方法及び作業従事者についての決定権は訴外工業所にあって、被告会社にはないことを無視するものであって失当である。以下に原告ら主張の具体的措置に則して説明を加えておく。

(1) 省力化

被告会社と福田工業所とは、かけ作業の請負契約を締結しているのであって、省力化するか否かは同工業所が決定することである。同工業所から被告会社に省力化措置の要請は全くなく、被告会社に省力化の義務はない。

(2) 作業速度及び作業時間の適正化

キューポラーで一時間五トンの出銑を行うこと、従ってそれに合せてかけ作業を行うことは、前示請負契約の内容となっているのであって、従事作業員の増員など人数の調整、実就業時間の短縮といったことは、訴外工業所が決定する事柄である。

(3) 作業姿勢の改善

スコップを使用する作業は土建業をはじめ巷間多数存在する。スコップですくう物の重量の加減は作業者が任意に決定しうる事柄である。

(4) 作業量の軽減

生産計画は被告会社が独自に決定することである。原告らが被告会社の生産計画による作業について行けないというのであれば、雇主の福田との間で作業量の調整をはかり、増員を要求するなど配慮すべきであり、被告会社にこれを求めるのは失当である。

(5) 教育訓練

原告らに対する安全或いは健康管理は、本来的に福田工業所が行うべきものであるが、被告会社は、全従業員並びに協力会社従業員に対し、安全朝礼或いは体操への参加を求めている。

(6) 作業環境

本件労災と全く関係がない。本工らの作業場と同一構造の作業場となっていて問題はない。

同4(四)の事実は争う。

5  同5の事実は争う。なお、原告綿谷は休業を始めた昭和四九年七月二六日現在満六六歳五か月であったところ、本件のような損害賠償請求訴訟においては、一般に労働可能年数は満六八歳までとされているのであるから、仮に同原告が何らかの損害を被ったとしても、同原告の休業による逸失利益は満六八歳までに残された一年七か月間の分に限定されるべきである。しかも同原告は昭和四九年八月二六日付で訴外福田工業所を任意に退職しているのであるから、右の限定された逸失利益の算定においては、福田工業所から得ていた退職前の収入額を基礎とするのは失当である。

三  抗弁

1  過失相殺

原告らは、その主張の職業病の発生、増悪の大きな原因として、従来原則として四人で行っていたかけ作業を昭和四九年四月ころから三人で行うようになったことを主張する。本件かけ作業の従事者が四人から三人になったのは、一人の休業者が出たことによるが、その間原告らは四人分の賃金相当額を三人で分配した日給のほかに手当も増額されたことから、休業者が復職してかけ作業に従事を申出た際、四人制への復帰を拒否したし、原告らは本件かけ作業に従事の要員の補充を福田に要求することもなかった。従って原告ら三名で本件かけ作業に従事したことが、腰痛等の発症或いは増悪の原因であるというのであれば、その原因は原告ら自らが負わなければならない。

また原告豊川については、一時間の早出勤務が腰痛等の発症とかかわりがあるかのように主張するが、同原告が早出勤務をするようになったのは、借金の返済資金を得るため収入増を図りたいという同原告自身の希望に基づくものであるから、仮に早出勤務が腰痛等に何らかの影響を与えたというのであれば、その結果については同原告自ら責を負うべきである。

右のとおり、原告ら主張の職業病の発生については、原告らにも責に帰すべき事情があるから、損害額の算定につき過失相殺がなされるべきである。

2  損害の填補

仮に被告会社が原告らに対し、何らかの損害賠償義務を負うとしても、原告らは、次のとおり労災保険からの給付を受けているのであるから、その限度において原告らの損害は填補されている。

昭和五五年七月一五日現在の支給額

(一) 原告浜田

総支給額金一〇八一万二六三七円

内訳

休業補償費 金四九八万四七四七円

休業特別支給金 金一五七万七二三五円

療養給付額 金四二五万〇六五五円

(二) 原告豊川

総支給額金一四二一万二一四一円

内訳

休養補償費 金八一一万八六三九円

休業特別支給金 金二五八万〇〇五〇円

療養給付額 金三五一万三四五二円

(三) 原告綿谷 総支給額金八二二万九〇六一円

内訳

休養補償費 金四七七万八三四一円

休業特別支給金 金一五六万七一〇八円

療養給付額 金一八八万三六一二円

さらに、昭和五五年七月一五日以降、原告浜田については、昭和五七年一月末日までに休業補償金二二二万九五二〇円、療養給付金二三六万五〇四六円の合計金四五九万四五六六円、原告豊川については昭和五六年一二月末日までに休業補償金二五七万三一六三円、療養給付金一九一万七五七四円の合計金四四九万〇七三七円、原告綿谷については昭和五六年一二月末日までに、休業補償金二二〇万一四九〇円、療養給付金八八万二六六二円の合計金三〇八万四一五二円がそれぞれ支給されている。

すなわち、原告浜田については金一五四〇万七二〇三円、原告豊川については金一八七〇万二八七八円、原告綿谷については金一一三一万三二一三円の限度で損害を填補されており、仮に被告会社が原告らに対し何らかの損害賠償義務を負うとしても、更に右金額を控除すべきものと言わなければならない。

四  抗弁に対する認否

(一)  過失相殺の抗弁事実は争う。原告らは、かけ作業要員の補充を要求していたところ、福田工業所から被告会社の了解が得られないことを理由に拒絶されたのである。また原告豊川の早出勤務については、労働者本人の意思で働くのならその労働条件はどうでもよいとはいえないはずである。

(二)  損害の填補につき、原告らに対し被告会社主張の労災給付がなされていることは認める。しかし、原告らは既に控除すべき分は控除して損害賠償の請求をしているし、慰謝料については労災保険給付によって填補されるものではない。

第三証拠

訴訟記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1(一)の事実、原告らが被告会社阪神ディーゼル事業部(尼崎市長洲東通一丁目一番地所在)鋳造部溶解班の職場で社外工として労働に従事していたことは、当事者間に争いがない。

原告らは、被告会社阪神ディーゼル事業部(以下たんに被告会社事業部という。)に訴外福田工業所こと福田博(以下福田工業所という。)を通じて雇用されていると主張するが、該主張事実を認めるに足る証拠はなく、(証拠略)によれば、原告らはいずれも福田工業所に雇用された者であり、福田工業所が被告会社事業部との間で溶解作業及び溶解炉内張作業の請負契約を結び、被告会社事業部で右請負作業を行っていたので、右の溶解作業の方に従事していたものであることが認められる。

従って、原告らは福田工業所に雇用された者であって、被告会社との間に雇用関係はない。

二  原告らが被告会社事業部の鋳造部溶解班の職場でかけ作業に従事していたことは当事者間に争いがない。

(一)  まず、かけ作業の内容について検討するに、かけ作業の過程そのものについては当事者間に争いがないのであるが、弁論の全趣旨により正確にその内容を説明しておくと、軌道上を電気操作により電動台車が循環運転されるのであるが、電動台車に略図〈1〉でコークス及び石灰石を、略図〈2〉で鋼屑を、略図〈3〉で銑鉄及び返銑を、それぞれ定められた数量の投入がなされると、電動台車は略図〈4〉に戻って停止し、底を開いて投入された右の地金類をバケットに移しかえ、バケットは電気操作でキューポラーの投入口まで上昇し、バケットの底を開いてキューポラー内に地金類を投入する。そして投入を終ったバケットは〈4〉まで降りてきている。一方で電動台車は地金類をバケットに移しかえたあと、〈1〉まで移動してくるので、そこからまた前記の順序による地金類投入が繰返される。

原告らの行うかけ作業というのは、右の〈1〉、〈2〉、〈3〉の場所で地金類を一定量計量して電動台車に投入する作業のことであり、電動台車の運転、地金類のバケットへの移しかえ、バケットからキューポラーへの地金類の投入は、被告会社従業員が担当する作業であった。

(二)  次に原告らの行う右かけ作業の実態について検討するに、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  まず溶解班における当日の作業計画は、溶解班長がきめるので、キューポラーへの地金類の投入量の調整などは同班長が行い、当日に投入される地金類の数量はその指示に従う。

2  略図〈1〉で電動台車にコークス及び石灰石が投入されるが、数量は自動計量され、かつレバー操作で自動的に投入される。もっともコークスは、素直に定量が投入されない場合があるので、この場合は手作業で余計なコークスを取出したり、或いは不足のコークスを追加するなど調節しなければならないが、作業者に対して負担は少ない。

3  略図〈2〉で計量ホッパーに鋼屑を、略図〈3〉で計量ホッパーに銑鉄及び返銑を投入するが、作業員が三人に減った時期を除き、本来はそれぞれ二人ずつで作業を担当していた。

4  鋼屑は、床面に積まれているのをスコップですくって膝くらいの高さに位置する計量ホッパーに一六〇キログラムになるまで計量して投入し、電動台車が循環してくるのを待って、レバー操作でホッパーを傾けて電動台車に入れる。鋼屑は形状が様々であり、重さも一定していないので、スコップ一杯ですくう数量は一定するわけではないが、スコップ一杯分の鋼屑の重量は、多くて約一二、三キログラム、大体一〇キログラム位をスコップ一杯にすくって計量ホッパーに投げ入れるから、一回毎にスコップ一五、六杯分の鋼屑がホッパーに投げ入れられることになる。鋼屑をスコップですくってホッパーまで運ぶ距離は、鋼屑が作業員の近くに山積みされているときは一、二歩ですむが、少なくなってくると、四、五メートル先から運んでくる場合も出てくるけれども、用意された金属製熊手で鋼屑を手近かにかき集めて作業しやすいようにしている。

5  銑鉄及び返銑も床面に積まれているが、形状も重さも様々である。大体一個の重量は五キログラムから二〇キログラム位まであるが、これをスコップですくったり、じかに手で掴んだりして計量ホッパーに投げ入れる。銑鉄と返銑はそれぞれ一二〇キログラムずつ(合計すると二四〇キログラム)を計量してホッパーに投入されるが、スコップですくって投入するときは、一杯分の重量は一〇キログラム位になるので、一回毎にスコップ二三、四杯分の銑鉄と返銑がホッパーに投げ入れられることになる。ホッパーまで運ぶ距離も鋼屑投入の場合と同様である。計量ホッパーに投入された計量分の銑鉄、返銑は、電動台車が循環してくるのを待って、鋼屑の場合と同じく、レバー操作でホッパーが傾いて電動台車に入る。

6  キューポラーは、二基あって稼働するが、一基の溶鉄の容量は、一時間当り約五トンであり、キューポラーに地金類が投入される頻度は五分に一回となっている。そこで、原告らの作業は、電動台車が〈2〉と〈3〉に位置している間に、ホッパーに一回分の合計重量が四〇〇キログラムに及ぶ鋼屑、銑鉄、返銑の地金類を投げ入れる、電動台車は循環を繰返してキューポラーに約五トンの地金類が詰め込まれ、キューポラーに火が入って溶解が始まる。原告らの行う一回分の投入作業は、一分半から二分間位の時分でなされるので、あと三分間位は投入作業から手が離れることになる。

もっとも一日の仕事始めの際は、キューポラーの中は空になっており、地金類は入っていないので、前記の作業過程によらずに、一度に五トン分の地金類を投入する、いわゆる初込作業が行われる。

7  原告らと福田工業所との間でとりきめられた就労時間は、休憩時間四五分を含め午前八時から午後四時三〇分までとなっていたが、キューポラーの溶解作業は、午前九時二〇分から一〇時二〇分までの間に火入れをして始められることになっていた。キューポラーは一日の溶解作業を終えると一旦火を消すが、底に未溶解地金類や鉱滓が残るので、当日の溶解作業に入る前には右鉱滓等の後片づけ、俗にノロ出しと呼ばれる作業が必要であった。原告豊川は、昭和四五年二、三月頃から、自ら希望して一時間早出の午前七時に出勤し、早出の時間内主にノロ出し作業に従事した。原告浜田、同綿谷は、午前八時に出勤して作業にかかるが、かけ作業を始めるまでに、ノロ出しのほか、未燃焼のコークスの取出し、また前日の作業中にキューポラー内に投入されずにこぼれ落ちてしまっている鋼屑等の地金類をかき集めまとめて再利用できるよう元の保管場所に戻しておく作業に従事した。

そして取り出されて廃棄するノロの量は、約二〇〇キログラムはあり、元の保管場所に戻しておくコークス、鋼屑等の量は五、六〇〇キログラムに及んだ。

8  原告らは、午前九時二〇分から一〇時二〇分までの間に始められるキューポラーの溶解作業に間に合うように、ノロ出し等の準備作業に従事したあと、初込作業を含めて、かけ作業を行うことになるが、右かけ作業による地金類の投入数量は常に一定していたわけではなく、多少の変動があるけれども、大体一日に二十数トンが投入されていた。地金類が溶解するのに四五分ないし六〇分かかるので、原告らのかけ作業が終るのは、おおよそ午後三時から三時半頃になっており、かけ作業が終ったあと、原告らは、周辺に散らかった地金類の後片づけ、整理と清掃の作業に従事した。

(三)  そこで原告らの右かけ作業に従事し、原告ら主張の職業病の発生にいたるまでの経過について検討する。

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  まず原告綿谷は、昭和四三年九月頃、福田工業所に雇われ、被告会社事業部でかけ作業に従事した。次いで原告豊川が昭和四四年九月福田に雇われ、原告綿谷と共にかけ作業に従事してきたが、原告綿谷は、昭和四七年二月転宅で通勤が困難となり、かつかけ作業に従事することが苦痛になってきたというので、福田工業所を退職し、市場の夜警勤務に転職した。そのあと、同年一〇月に原告浜田が同工業所に雇われ、原告豊川と共にかけ作業に従事することになった。原告らが右かけ作業に従事する以前には、原告綿谷において昭和二二年から同三八年まで二社で溶解工として勤務した経験をもつが、原告豊川は家庭にあって内職をした程度であり、原告浜田は配管工であって、かけ作業の経験はなかった。

2  原告綿谷は、昭和四八年七月に再び福田工業所に雇われ、当初は被告会社事業部で油中子の仕事(油で練った砂で鋳型を作る作業)や仕上げ作業に従事したが、昭和四九年二月から原告豊川や原告浜田と共にかけ作業に従事することになった。

3  原告浜田は、昭和四九年一月中腰痛が生じ一週間位休業し、同年三月中にも再び腰痛で三週間位休業したが、原告綿谷がかけ作業に復帰した当時のかけ作業に従事する人員は、原告ら三名及び訴外川口知の四名であったところ、川口が膝痛などで休むことになったため、同年四月からは、原告ら三名のみでかけ作業に従事するようになり、その状態が同年六月中旬まで続いた。

4  そして、まず原告浜田が同年六月中旬腰痛等が再発して同月一六日頃から仕事を休むにいたった。次いで原告豊川が腰痛等で同月二七日から休業し、さらに同年七月二六日から原告綿谷も腰痛などの症状が出て休むことになり、そして原告綿谷は同年八月二五日自ら希望して福田工業所を退職した。

右のように原告ら三名はいずれもが同年六月中旬から同年七月下旬にかけて、腰痛等の症状が出現して仕事を休むにいたった。

三  そこで原告ら主張の職業病の発生、症状について検討を加える。

(一)  原告浜田

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  原告浜田は、かけ作業に従事中、昭和四八年七月ころ、それまで何ともなかった腰や肩に痛みを覚えたので、二週間位仕事を休み、豊中市内の三愛病院で診療を受けたことがあったが、その際の医師の診断では、疾病は左第4、5腰椎椎間板軟首ヘルニヤと見立てられた。しかし、そのうち腰や肩の疼痛は消失していき、依然かけ作業に従事していたところ、昭和四九年一月中旬ころから腰痛が出てきて、その後徐々に増悪が進み、また頸部や両上腕にも疼痛が伴うようになったので、同年三月半ばころから約三週間仕事を休んで休養をとっていると、症状は一時軽減した。そこで同年四月に入って出勤したのであるが、その頃からそれまで四名の人員で行っていたかけ作業を三名で行うようになって、従前に比して過労気味に推移するうち、同年五月から六月にかけ、右肩関節痛が生じ、右肩から右上腕にかけて腫脹、疼痛が続く一方、腰痛が増悪するようになり、作業に耐えられなくなって同月一六日から休業するにいたった。

2  原告浜田は、休業前の同月一四日三愛病院で診察を受けたが、そこでは、変形性頸椎症、左第4、5腰椎椎間板軟首ヘルニヤと診断され、向後六カ月間軽作業はともかく、重労働に従事するのは無理と言われた。さらに同原告は、同月二五日に大阪市東淀川区内にある北大阪医療生活協同組合の十三病院で診察を受け、以後同年一二月一三日まで同病院に通院して治療を受けた。同病院における当初の診断は、変形性脊椎症、右肩甲関節周囲炎に加え、細動脈硬化と見立てられたが、最終的な診断では、右肩甲関節周囲炎並びに腰痛症とみられた。もっとも同原告は同病院に通院中、同年一〇月に胃潰瘍を生じ、その治療を受けている。

3  同原告は、同年八月七日に神戸市兵庫区内にある兵庫県勤労者医療生活協同組合の神戸診療所で診察を受けたが、担当した医師伊丹仁朗の所見によると、肩については、右肩関節の前方への挙上が高度に制限されていて疼痛を伴ない、肩関節の周囲筋に硬結と圧痛があり、腰については、右側の腰椎から左側の腰椎に至る傍脊柱筋の緊張が高まっていて、その部分を押えると圧痛があり、腰の運動時に後方伸展動作をすると非常な痛みを感じるうえ、後方への伸展が普通の稼動範囲より制限されていることが認められたので、同原告の疾病は、(右)肩関節周囲炎、筋・筋膜性腰痛と診断された。以後同原告は、同診療所に通院して治療を続けたが、右疾病は一進一退を繰返し、肩痛は徐々に軽快しているけれども、腰痛の方は好転せず、疾病は慢性化するにいたった。そしてなお、同原告は、同病院で治療中にも胃炎などの内臓疾患を生じ、そのための治療を受けている。

4  同原告は、昭和五五年四月、現住居に転居し、以後広島市内の友和クリニックの医師宇土博から治療を受けているが、同医師の昭和五七年一月二三日付診断所見によると、肩関節周囲炎、腰痛症は回復せず、慢性化しているため症状に起伏があるとされている。

5  同原告の肩関節周囲炎、腰痛症は、慢性化してしまい、完全な治癒は望めない状態とみられるのであるが、少なくとも昭和五五年後半の段階では、治療を続ける必要はあるけれども、軽作業に就労することは可能と診断されている。

以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、原告浜田は、かけ作業に従事するうち、肩関節周囲炎、腰痛症に罹患し、右疾病はついに治癒をみないまま、慢性化してしまっていると認めるのが相当である。

(二)  原告豊川

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  原告豊川は、かけ作業に従事中、昭和四九年四月頃から腰に痛みを覚えるようになり、同年六月に入ると、痛みが増し、一度臥床すると起き上るのが苦痛となるまでになって、同月二七日からまったく仕事を休むことになった。そして同日から前記十三病院で診療を受けることになったが、同病院の診断所見によると、頸痛症及び腰痛症と見立てられた。さらに同原告は、同年八月七日前記神戸診療所で診察を受けたが、同病院の診断所見では、主として筋・筋膜性背腰痛と判定されている。

2  同原告は、十三病院で治療を続けたが、同年八月二四日から翌五〇年一月二四日まで十三病院と同系列の診療所である箕面病院に入院して診療を受けた。箕面病院で診療担当の医師池田嵩の診察所見によると、同原告には頸部、背部、腰部の諸筋に圧痛、緊張や背屈制限等の運動制限が認められ、同原告の疾病を頸痛症及び腰痛症と診断している。箕面病院における治療で同原告の症状は軽快してきたので、同病院を退院し、以後は十三病院に通院して診療を受けることにした。同病院で治療を続けたが、症状は回復せず、また治療中に肥満症などの疾病も発症している。同病院では、二年間治療しても治癒しないものは症状固定として処理するほかない、との意見も出たくらいであった。

3  同原告は、十三病院に通院治療を受ける一方、昭和五一年一〇月四日から神戸診療所に通院して診療を受けたが、診療を担当した医師伊丹仁朗の診察所見によると、昭和四九年八月七日当時の症状からみれば、症状はよほど改善されているけれども、就労できる状態にはなっていないと判定され、以後も診療が続けられた。

4  同原告は、昭和五三年四月から尼崎市内の阪神中国医学研究所の付属診療所に通院して診療を受けることになった。診療担当の医師山下五郎の診断所見によると、同原告の疾病は、慢性背腰痛と診断され、昭和五七年一月当時において、症状は改善傾向にあり、将来は軽作業は可能となろうが、いまは通院治療と休業が必要と判定されている。

5  また鑑定人医師柳楽翼による同原告に対する昭和五五年一一月一七日の診断によると、同原告の主たる症状は、筋・筋膜性要因の強い腰痛症としている。

以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、原告豊川は、かけ作業に従事するうち、腰痛症に罹患し、治癒をみないまま慢性化してしまっていると認めるのが相当である。

(三)  原告綿谷

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

1  原告綿谷が被告会社事業部でかけ作業に従事したのは、前記のとおり、昭和四三年九月頃から同四七年二月までと、その後約二年間の中断があって、さらに昭和四九年二月から同年七月下旬までであるが、原告綿谷は、再度のかけ作業に従事中、昭和四九年四月からそれまで四名の人員で行っていたかけ作業を三名で行うようになって、作業が過労気味に推移するうち、肩や腰に痛みを覚えるようになり、増悪が進んで作業に耐えられなくなったので、ついに同年七月二六日から仕事を休むにいたった。そして同日姫島病院で診察を受けたところ、慢性気管支炎のほか変形性脊椎症との診断がなされた。

2  さらに同原告は、原告浜田、同豊川と同様、同年八月七日前記神戸診療所で診療を受けることになった。診療担当の医師伊丹仁朗の所見によると、肩については、左腕を外側から上に上げたり、左肩を後方に上げたりすると、痛みがあり、その運動範囲に制限があったし、左肩周囲の筋に硬結、圧痛がみられ、腰については、左側の傍脊柱筋の緊張が亢進していて、その部分に硬結、圧痛があり、腰の後方伸展に制限があったし、腰を左方向に曲げる側屈にも疼痛が認められ、同原告の疾病は、左肩関節周囲炎、筋・筋膜性腰痛症と診断された。なお当日の診断によると、同原告には、右疾病のほか、脳血流障害、肝腫脹、硅肺等の諸症状の所見がみられた。

3  原告綿谷は、以後神戸診療所で三回ほど診療を受けただけで、他のいくつかの診療所を転々として治療を受け、或いは針灸の治療に通ったあと、昭和五一年一〇月四日から再び神戸診療所に来て診療を受けるにいたったが、その際の伊丹医師の診察所見によると、同原告の症状は初診当時よりかなり悪化していると認められた。以後同原告は、神戸診療所で診療を続けるうち、慢性気管支炎や白内障などの疾病が生じ、その治療を受けている。また同原告は、同診療所の昭和五二年六月二〇日の診察で、陳旧性と思われる第一腰椎圧迫骨折が認められているが、その発症の原因は不明であるけれども、同原告は昭和一七年交通事故で受傷したことがあるので、その際に受けた外傷が陳旧化したものと考えられ、前記腰痛症の原因に占める位置は著しく小さいと考察されている。

4  同原告は、昭和五三年四月から、原告豊川と同じく、阪神中国医学研究所の付属診療所に転医して診療を受けているが、同診療所医師山下五郎の診断所見によると、慢性腰痛症、肩関節周囲炎と診断され、昭和五七年一月当時において、症状は若干改善傾向にあり、将来は軽作業は可能と思われるが、いまは要通院、休業が必要と判定されている。

以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、原告綿谷は、かけ作業に従事するうち、肩関節周囲炎、腰痛症に罹患し、なお治癒をみないまま慢性化してしまっているものと認めるのが相当である。

四  原告らは、原告らの発病、疾病の原因は原告らが従事していたかけ作業及びそれに伴う準備作業によると主張するので検討する。

(一)  原告らが従事したかけ作業の内容、実態、原告らのかけ作業に従事した期間は、前記二の認定のとおりである。右認定事実によると、原告らの主たる作業内容は、鋼屑、銑鉄、返銑といった地金類をスコップですくい或いは手で掴み持ってホッパーに投げ入れる作業で、殆ど同一の動作の反覆が続く単純な作業ではあるが、投げ入れる右地金類それ自体がかなりの重量物であり、かつ一日の作業で投げ入れられる地金類の数量も大量であるうえ(おおよそ二十数トン)、右作業にあたる人員と限られた作業時間を対比すると、重労働に属する作業といわなければならない。そして床面に積まれた地金類をスコップですくい或いは手で掴み持ってホッパーに投げ入れる作業であってみれば、作業者が背を前に折り曲げ或いはかがみ込み、かなりの重量物をのせたスコップを両手で持ち運び、腰をまわして投げ入れる動作を繰返すわけであるから、作業者の腰部や肩部にかかる負担は大きいものがあると推定することは容易である。

(二)  ところで、(人証略)によれば、原告らが従事したかけ作業は、長い間に原告ら各自の腰背部、肩部の筋や筋膜に過度の負担をかけて疲労させ、原告らに生じた前記認定の肩関節周囲炎、腰痛症といった疾病を惹起せしめることは、医学上も認められる事例であることが認められるところ、この事実に、昭和四九年一〇月四日尼崎労働基準監督署長が原告らの疾病を業務上の事由によると認定し、労災補償給付の支給決定をした事実(この点は当事者間に争いがない。)を併せ考えると、原告らの疾病は、原告らが従事してきたかけ作業に起因していると認めるのが相当である。

(三)  被告は、原告らの疾病がかけ作業に起因するとしても、疾病の原因がすべてかけ作業によるものではなく、原告らがいずれも高年齢であり、各自の身体的、精神的な個人的要因が疾病の発生症状に寄与していると主張するので、この点を検討する。

1  (証拠略)によれば、原告らが発病した時期の原告らの年齢は、原告浜田(大正一一年二月一日生れ)が五二歳、原告豊川(大正九年四月一八日生れ)が五四歳、原告綿谷(明治四一年二月一一日生れ)が六六歳であったことが認められるので、原告らがいずれもかなりの高年齢であったこと、とりわけて原告綿谷においては、いわば老年期に入っていたものであることは否めない。

2  そこで、(人証略)によれば、人の腱、靱帯、筋・筋膜等は加齢に伴って退行性変化、俗に老化現象を起こすものであることは避けられないこと、肩関節周囲炎や腰痛症の罹患者は、通常ある程度の期間の休養と治療が施されるならば、回復、治癒がはかられるのであるが、高年齢者の場合には、なかなか治癒が思うにまかせず、完全治癒にいたらないで、数年を経ても依然として症状が残ることによってみても、もとより人により個人差はあるけれども、年齢の影響は無視できないことが認められる。

3  肩関節周囲炎、腰痛症の発症、症状の程度に年齢の影響が無視できないことは、原告綿谷の場合をとり上げると、前記認定のように、同原告は昭和四三年九月頃から同四七年二月までかけ作業に従事し、その間には特別に体調の異状を窺わせるものは見当らなかったところ、約二年間の中断を経て、昭和四九年二月から再びかけ作業に従事するや、四、五か月間の作業従事で肩関節周囲炎、腰痛症が発症しているのであり、同原告の当時の年齢を考え併せるならば、右の疾病に年齢の影響の存することを否むことはできない。してみると、前記認定の原告らに生じた疾病、その症状の程度、発症後相当の長期間にわたり治療を続けているが、治癒にはいたらないことに照らすと、原告らの疾病の発生、症状に、原告らがそれぞれ高年齢であったことが影響し、寄与していると認めるのが相当といわざるをえない。

もとより、原告らの疾病に原告ら自身の年齢、いわゆる加齢要因が影響するにしても、その程度については、現代の医学・医療の手法によって明確に特定することは困難といわざるをえないので、その寄与の程度はさておき、加齢要因は考慮されなければならない。

4  次に原告ら各自の加齢要因を除く身体的・精神的等の個人的要因の疾病に対する影響、寄与の有無についてみるに、前掲の各証拠を検討するも、原告らのかけ作業による疾病と認められる肩関節周囲炎、腰痛症が発症する以前に、原告ら各自が右疾病に影響を及ぼす既往症等を有していたことは認められず、原告らは発症以前には一応健康を維持し、体調に特別の異状もなく過ごしていたものと認められる。してみると、原告らの右疾病の発生に前記加齢要因を除く原告ら各個人の身体的、精神的等の要因が影響、寄与していると認めることはできない。

もっとも、(証拠略)によると、原告らは、前記疾病の発症後、右疾病の治療を続けるうちに、いずれもが慢性気管支炎を発症し、また各自において、その他各種の疾病を発症して、それら疾病の治療を受けていること、原告らの治療期間が長引いていることには、もとの疾病以外の、そのあとに発症した他の疾病が影響していることを窺えるけれども、これをもって原告らのかけ作業による疾病の発生に原告らの個人的要因が影響、寄与しているとみるのは相当でない。

五  被告会社の責任

(一)  安全配慮義務の存在

1  一般に雇用関係において、使用者は、被用者が労務に服する過程で、被用者に対し、その生命及び健康を危険から保護するよう労務給付の場所、施設若くは器具等の設備その他の条件を整えるべき義務を負っているものと解すべきであり、そして右のいわゆる安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきである。

2  ところで、原告らは、前記認定のとおり、福田工業所に雇用された労働者であって、被告会社との間に雇用契約はなく、ただ福田工業所が被告会社から請負ったかけ作業に従事していた者である。そして請負においては、本来注文者が請負人の仕事の結果を享受するにすぎないものであるから、注文者は原則として当然には請負人の仕事の完成の過程における事故により請負人の被用者に発生した損害を賠償すべき責任を負うことになるものではない。しかしながら請負による仕事とはいえ、その仕事の内容からして、請負という契約形式によりながら、注文者が単に仕事の完成を請負人に一任してその成果を享受するというにとどまらず、請負人の雇用する労働者を自己の企業秩序の下に組み入れ、自己の管理する労働場所において、自己の管理する機械・設備を利用するなどして、自己の指揮・命令・監督の下におき、自己の望むように仕事の完成をさせ、実質的に注文者が当該労働者を一時的に雇用して仕事をさせると同様の効果をおさめているといった場合には、注文者と請負人の雇用する労働者との間に、実質的に使用従属の関係が生じていると認められるのであるから、その間に労働契約関係が存在しなくとも、この場合には、信義則上、注文者は当該労働者に対して、前記のような使用者が負う安全配慮義務と同様の安全配慮義務を負うものと解するのが相当である。

3  そこで、本件において、原告らは被告会社事業部の鋳造部溶解班の職場でかけ作業に従事するものであること、溶解班における当日の作業計画は溶解班長がきめるので、原告らがかけ作業で投入する地金類の数量はその指示に従っていたし、かけ作業に利用の電動台車は被告会社従業員の管理下にあったことは、前記認定のとおりであり、さらに(人証略)の証言によれば、原告らがかけ作業に用いる器具、用具類は、すべて被告会社から提供されるものであったことが認められる。

右認定の事実によれば、被告会社は、原告らと直接の雇用関係にあるものではないが、原告らの作業現場、作業に利用される機械設備は被告会社の管理下にあり、原告らの作業は被告会社従業員の直接の指示・監督の下に行われていたというべきであるから、被告会社と原告らとの間には実質的に使用従属の関係があったものというべきである。従って被告会社は、原告らに対し、使用者と同様の安全配慮義務を負うべきものと解するのが相当である。

(二)  そこで、被告会社の原告らに対し負うべき安全配慮義務の具体的内容、右義務の違反の存否について検討する。

1  原告らは、かけ作業に従事中、かけ作業に起因して、原告浜田、同綿谷において肩関節周囲炎、腰病症を、原告豊川において腰痛症を、それぞれ発症したものであること、原告らの右疾病は、かけ作業の内容が鋼屑・銑鉄・返銑といった地金類をスコップですくい持ち、或いは手で掴み持ってホッパーに投げ入れる作業であり、投げ入れられる右地金類はかなりの重量物であったから、重量物を取扱う作業で、肩部や腰部とりわけて腰部に過度の負担のかかる作業に継続して従事しているうちに発症したものであることは、前記のとおりである。ところで原告らの右疾病は、かけ作業従事中に、負傷したことにより、或いは突発的な出来事による急激な力の作用によりもたらされたものではなく、日常的に相当な期間作業を続けるうちに、原告らの肩部や腰部を害する作用が徐々に蓄積して発症にいたったものとみられるから、いわゆる災害性の原因によらない非災害性の疾病といわなければならない。

2  原告らは、被告会社が安全配慮義務に基づき原告らの疾病(腰痛など)の予防のために講ずべき具体的措置として、省力化等の措置(請求原因4の(二)(三))を主張する。

成立に争いのない(証拠略)によれば、労働省労働基準局長が発した「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」という通達(昭和四五年七月一〇日基発第五〇三号)が存し、右通達の記載内容は別紙(略)のとおりである。右通達はいわゆる解釈例規であるが、原告らの腰痛症を予防するために講ずべき具体的措置の準拠とできるものであるから、これによって原告ら主張の当否を考える。

3  前記のとおりの原告らが従事したかけ作業の内容、実態に照らすと、被告会社が原告らに発症の腰痛症の予防対策として、とりうべく、とりえた措置は、右通達に掲示の省力化(Ⅰの1)、取扱い時間(Ⅰの5)及び健康管理(Ⅱの1、2)である。

しかしながら、かけ作業の省力化については、(人証略)によれば、かけ作業の省力化をはかり、機械設備を使用するようになれば、人手が不要となるので、結局かけ作業を請負う福田工業所としては仕事がなくなり困ると考えていたこと、従って同工業所としては機械化を望まず、被告会社に機械化の申出をすることもなかったことが認められる。

もっとも、(人証略)によれば、被告会社では、昭和五二年中かけ作業の作業現場にマグネットクレーンを導入し、地金類をマグネットに吸引して計量器まで運び、計量のうえそのまま電動台車に投入する、投入量に誤差が出ると、その不足分は人手の作業で投入するといった、かけ作業の機械化をはかったこと、マグネットクレーンの導入により作業者は二名となったが、作業者の肉体的負担は大幅に緩和され、からだは楽になったことが認められるので、もとよりかけ作業の省力化は腰痛の予防対策に効果のある措置であることは否めない。

しかし、前記のように、原告らが従事したかけ作業は福田工業所が被告会社から請負って行うもので、原告ら自身かけ作業に従事することは収入の面で有利であることなどから、右作業の担当を希望したふしもあったのであるから、なるほど、かけ作業の省力化は腰痛の予防に効果のある措置であることは否めないけれども、当時被告会社において省力化の措置をとらなかったことをもって、ただちに原告らに対する安全配慮義務を怠ったものときめつけるのは、正当性を欠くものといわざるをえない。

ところが、被告会社は、かけ作業の取扱い時間((1)取扱う物の重量、取扱いの頻度、運搬距離、運搬速度等作業の実態に応じ、休息又は他の軽作業と組み合わせるなどして、重量物取扱い時間を適正にすること、(2)単位時間内における取扱い量を、労働者の過度の負担とならないよう適切に定めること。)については、これを考慮できたことであるし、また腰痛の予防のための健康管理は容易になしうることといわなければならない。

4  そこで、前記のとおり、原告らのかけ作業は、通常四人の作業員が一回分四〇〇キログラムに達する地金類を二分間位でホッパーに投げ入れ、次いで三分間位投げ入れ作業そのものの手を休めているが、すぐに二分間位の地金類のホッパー投げ入れが始まり、また三分間手を休める、といった作業の繰返しで、おおよそ一時間に約五トンの量の地金類が投げ入れられる。そして一日に稼働するキューポラーが溶解する地金類は約二十数トンに及ぶので、それだけの量の地金類の投げ入れ作業が行われるわけで、かけ作業それ自体の実働時間は約五時間ということになり、作業単位時間の密度が濃い、かなり厳しい労働の重量物の取扱い作業といわざるをえない。しかも昭和四九年四月から、従来四人の作業員で行っていた右かけ作業を原告ら三人のみの作業員で行うことになったが、作業内容は従前と変らなかったので、労働はより一層厳しくなったとみられる。

ところで、被告会社の履行補助者として、原告らのかけ作業を指揮・監督する立場にあった、作業現場の溶解班長或いは溶解班所属の被告会社従業員は、本件に顕われた証拠を検討するも、原告ら作業員の行うかけ作業につき、その労働が過度の負担にならないよう作業の取扱い時間を適正に調整した形跡は見当らない。さらに原告ら作業員に対する健康管理についても、なるほど、(人証略)によれば、被告会社事業部では従業員に対し年二回の定期健康診断が行われているところ、福田工業所が被告会社から請負う作業に従事する同工業所の従業員においても、当初のうちは被告会社の行う定期健康診断に加えてもらって受けていたことが認められるが(もっとも、原告らそれぞれが右健康診断を受けたかどうかは不明である。)、続けて福田工業所の従業員が被告会社の行う定期健康診断を受けた様子はなく、原告らに対し、定期的な健康診断、とりわけて腰痛の発症を早目にチェックし、腰痛を予防するための前示通達に掲記の項目についての健康診断を施し、健康管理に留意した形跡は見当らない。

もとより原告らは福田工業所に雇われている者で被告会社とは雇用関係がないのであるが、前記のように原告らと被告会社との間には実質的に使用従属の関係があったのであるから、被告会社としては、かけ作業はその作業内容からして、作業者に腰痛等の身体的故障が発生しやすいことを知りうべき状態にあったというべきところ、請負人の福田工業所を通じ或いは自らにおいて、原告らの腰痛予防のため、かけ作業の取扱い時間の調整、原告らの健康管理に意を用いなければならないというべきである。

5  してみると、被告会社は、かけ作業に従事していた原告らに対し、腰痛の発症を予防するために、かけ作業の取扱い時間や原告らの健康管理に注意して、原告らの身体を危険から保護し、安全に作業を続けられるよう配慮すべき義務を怠っていたものであり、それを知りうべき状態にあったというべきである。

そうだとすると、被告会社は、原告らに対する安全配慮義務の履行を怠ったものであり、原告らの肩関節周囲炎、腰痛症の疾病は、右安全配慮義務の不履行に起因するものというべきである。

六  ところで、被告会社は、原告らの疾病の発症、増悪については、原告ら自身責を負うべき事由があると主張するので検討する。

1  まず、かけ作業に従事中の原告らに発症した肩関節周囲炎、腰痛症の疾病は、前記のように、災害性の原因によったものではなく、いわゆる非災害性の疾病である。このような場合、右の疾病はある日突然に発症するわけのものではなく、予兆があって身体の不調が自覚される筈のものと考えられるから、原告らとしても、自らの体調に留意し、時に休養をとり或いは早目に医師の診療を受けるなど、自らの健康管理に意を尽すべきである。被告会社において、身体の不調をかこつ原告らに対し、かけ作業への従事を無理強いしたような事情はまったく窺えないのであるから、原告ら自身の健康管理は原告ら自身がなしうるところであってみれば、原告らの疾病の発症、増悪については、原告ら自身の健康保持が十分でなかったことに一端の原因があるといわなければならない。

2  しかも、原告らが行うかけ作業は、昭和四九年四月からそれまで原告らを含む四人の作業員で行っていたものを原告ら三人だけの作業員で行うようになり、より一層労働が厳しくなり、身体的負担が増したことは、前記のとおりであり、このことは原告らの疾病の発症、増悪に寄与するところが大きいと推定されるところ、(人証略)によれば、原告らは、作業員が一人減ったのに、作業員の補充を使用者の福田博に対して積極的に要請せず、支給される四人分の賃金を三人で分配していたことが認められる。(前掲原告ら各本人尋問の結果中、原告らから福田に人員の補充を強く要求したが、福田に拒否されたため、やむなく原告ら三人でかけ作業に従事した旨の供述部分は、〈証拠略〉と対比して、採ることができない。)

そうとすると、原告らは、自らの発意であえて労働過重となる作業に従事したものといわざるをえないので、この点も原告らの疾病の発症、増悪について考慮すべき事情といわなければならない。

3  さらに原告綿谷については、前掲の同原告尋問の結果によれば、同原告は、昭和四八年一〇月福田工業所に再雇用され、当初は被告会社事業部で油中子の仕事や仕上げ作業(これらの仕事は、かけ作業に比べると、身体的負担の軽い仕事である。)に従事していたところ、その職場が面白くないということから、福田に頼み、自ら望んで昭和四九年二月からかけ作業に従事したものであることが認められる。しかしながら、同原告の当時の年齢や体力を考え合せると、かけ作業に従事することは、その作業内容からみて、身体に負担が大きくかかるきわめて難儀な作業であり、このことは同原告においても容易に予想できたところといわなければならない。果せるかな、同原告はかけ作業に従事して四、五か月間のうちに肩関節周囲炎、腰痛症の疾病を発症していることは、前記のとおりである。

してみると、原告綿谷の場合、右のようにあえてかけ作業に従事すること自体、自らの健康管理をないがしろにすることに帰着するので、この点は同原告の疾病の発症、増悪について考慮すべき事情といわなければならない。

4  右のとおりであるから、原告らの疾病の発症、増悪については、原告ら自身にも一端の責任があるといわなければならない。そこで、損害賠償の額の算定につき斟酌すべき原告らの過失割合は、原告浜田、同豊川においては三割、原告綿谷においては五割とみるのが相当である。

七  損害

(一)  休業による損害

尼崎労働基準監督署長が原告らの疾病を業務上の事由によると認定し、労災補償給付の支給決定をしたこと、原告らが被告会社主張の金額の労災補償給付を受けたことは当事者間に争いがない。そこで原告らは、その平均賃金の六割に当る金額を休業補償として受領していることになる。

ところで、原告らの疾病については、原告らの年齢からくるいわゆる加齢要因の寄与、さらには原告らの過失を考慮しなければならないことは前記のとおりであって、損害賠償の額の算定について斟酌されるその割合は、原告らそれぞれにつき四割をこえると認めるのが相当である。

そうだとすると、原告らにその主張の休業による損害が生じているとしても、原告らは労災補償給付により前記割合の休業補償を受領しているのであるから、休業による損害は填補されていて存在しないものというべきである。してみると原告らの休業による損害の主張は認めることができず理由がない。

(二)  慰謝料

かけ作業による原告らの疾病(肩関節周囲炎、腰痛症)は、きわめて頑固で発症以来治療が長引いており、治癒も難しいこと(右疾病は慢性化してしまっているので、もはや症状は固定化しているといってよい。)従って原告らのその間の肉体的・精神的負担は相当に大きいと推認できるが、原告らと被告会社との関係、原告らそれぞれのかけ作業に従事した期間、原告らの右疾病の発症、増悪については、もともとの原告らの年齢に伴う退行性変化が寄与していることのほか、原告ら自身にも自己の健康管理、保持に不注意があって十分でなかった面があること、原告らに対しては労災補償給付がなされていること、その他諸般の事情を考慮すると、被告会社に負担させるべき慰謝料は、原告浜田は金一〇〇万円、原告豊川は金一五〇万円、原告綿谷は金六〇万円と認めるのが相当である。

なお、被告会社は、原告らの損害は労災補償による給付で填補されていると主張するが、労災補償は、労働者の被った財産上の損害の填補のためにのみされるものであって、精神上の損害の填補の目的をも含むものではないから、労災補償給付は、性質上慰謝料請求権には及ばないものというべく、右主張は理由がない。

右のとおり、原告らの損害は、原告浜田が一〇〇万円、原告豊川が一五〇万円、原告綿谷が六〇万円となる。

八  結論

そうとすると、被告は、原告浜田に対し、金一〇〇万円、原告豊川に対し、金一五〇万円、原告綿谷に対し、金六〇万円及びこれらの金員に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五〇年二月二五日から右支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるというべきである。

よって原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき、同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂詰幸次郎 裁判官 森田富人 裁判官 白石研二)

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